オリジナリティーのあるキャンピングカーを追求しながら、新たな挑戦を続けるアネックス田中社長

メーカー・販売店インタビュー
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オリジナリティーのあるキャンピングカーを追求しながら、新たな挑戦に挑むアネックス田中社長

ドッグランを走るワンちゃん、キャンプを楽しんでいるユーザー、たくさんの展示車両を眺めている人。目的は違っていても、いろいろな人が集まって、にぎわっている場所がありました。ここは大阪郊外のニュータウンにある、キャンピングカーメーカーアネックスの販売店、キャンピングカープラザ大阪です。

キャンピングカープラザ大阪の店舗

丘陵地を利用した広い敷地に、眺めの良さそうな社屋が建っています。展示場の奥にある駐車場にクルマを停めて、ブリッジを渡るとエントランス。扉の内側はギャラリーのような落ち着いたデザイン。入った瞬間にのんびりとした空気に包み込まれるのです。

キャンピングカープラザ大阪の店舗内

それは「ゆったりとくつろげる空間を」という、アネックス社長田中昭市氏が求めていたスタイルでもあるそうです。そんなアネックスですが、当初はカスタム車両を扱っていたことを知っている人は少ないかもしれません。今では、当時を知るスタッフも数人だそうです。

アネックスの歴史ともいえる、カスタム車両製造からキャンピングカー専門店への道筋をともに歩んできたのも田中氏です。そこで今回は、同社のキャンピングカーメーカーとしての変遷や、くつろげる展示場が生まれるきっかけなどをうかがってきました。

8ナンバー車両でまとめられたカスタムの世界

田中氏がアネックスの前身オートボディショップたなかに入社したのは1981年のこと。当時はエアロパーツなどを装着したカスタム系のクルマが多かったそうです。

「入社した時、はっきりとキャンピングカーなどのカテゴリー分けはありませんでした。バニングと呼ばれるカスタム車両を作っていましたが、お客さんのなかには、キャンピングカーのようにして使っている人もいました。当時は8ナンバーの特種車両ということで、大きくまとめられていた感じです。実際、私はバニングをしている認識でした」

バニング全盛期に入社したそうですが、キャンピングカー仕様のクルマをカーショーで展示したときに、来場者に声をかけられたといいます。

「2、3人だと思うのですが、すごく熱く語る人がいました。みなさんが言いたかったことは、もっとしっかりとキャンピングカーを作らなければだめだ、ということです。バニングとキャンピングカーの境界線があいまいな時代です。キャンピングカー専門店も少ない時に、そこまで、強くキャンピングカーを求めている人が居ることに驚きました」

人が集まりキャンピングカー製造が本格的に

キャンピングカープラザ大阪の整備工場

その後、キャンピングカーとバニングはしばらく混在していたといいます。しかし、客層が違うので、いつかは別々の店舗が必要とも感じていたそうです。そんな時に取り組んだのが、キャンピングカーの本格的な製造体制でした。

「自動車関係のプロとして長年やってきたという思いもあって、せっかくキャンピングカーを作るのなら、しっかりとしたモノを作りたかったので、スタッフを集めました。FRPは友人のつながりで、ボートを作っている人に声をかけ、木工と鉄加工は親戚のおじさんたちに指南してもらいました」

木工では家具製造の技術を取り込み、曲げ加工なども行っていたといいます。その特徴的なクルマ作りは、後のアネックスらしさにつながっているようです。

「当時のスタッフは、車屋さんとしてのプライドを持っていました。プロとしての仕上げはもちろんですが、安全性の高いキャンピングカーを作らなければならない、といつも考えていたのです。だから、家具の軽量化なども気にしていました」

アネックスを立ち上げ、キャンピングカー製造が本格的に

初期のアネックスコンポーザー

アネックスにとって最初の量産タイプキャンピングカーは、1985年発売のハイエースにFRPルーフを載せた「コンポーザー」でした。88年には日産キャラバンベースで後部をFRPボディにした「アネックス」を発売して、キャンピングカー製造が本格的にスタートしています。

「キャンピングカーを始めると、スタッフの配分もキャンピングカーがメインになってきました。バニングもやっていましたが、マンパワーも下がり、力を入れていないからか、バニングのお客さんは少しずつ減っていった印象です」

その後も新コンポーザーや超ハイルーフのバンコン「ノッポ」など、ラインアップを増やしていきました。その頃、会社の組織変更が行われ、94年には田中氏がアネックスの社長に就任しています。

「もともと、64年に親が始めた「たなか自動車商会」がスタートでした。屋号を「オートボディショップたなか」に変えて、しばらくやっていましたが、バニング全盛になった時、エアロパーツの製造販売をする会社「ゼロプロダクト」を90年に立ち上げて、私が代表となっていました。そして、その「ゼロプロダクト」が「オートボディショップたなか」の事業を継承する形で、94年に「アネックス」を立ち上げたという流れです」

バンコンからキャブコンへ

コンポーザーとリバティのカタログ

そして、1998年にはキャブコンのリバティ5.2を発売。バンコンからキャブコンの世界にやってきたのです。

「当時、キャブコンを製造しているメーカーが数社ありました。後から出すので、いいクルマにしなければいけないという思いが強かったですね。各車のいいところを勉強して、アネックスのオリジナリティを出そうと、いろいろと考えました

キャンピングカーを作る上で気をつけていることは、オリジナリティだそうです。そして、革新的な技術を取り入れるように、常にアイデアを考えているといいます。

「ノートにアイデアを書き込んで、製造部門の徳島工場に持っていっていました。現場から反対されることもありますが、とにかく私は考えることが好きなので、ユーザーからのフィードバックを基に、いろいろと考えてしまうのです」

アネックスの新型リバティ

オリジナルにこだわっているのは、理由があるとも。

「トヨタが2000年頃にキャンピングカーを販売したことがあって、それを見て、ちょっと恐怖を感じたことがあったのです。トヨタのディーラーがキャンピングカーを販売すれば、技術力はもちろんですが、販売網の強さ、サービス面など、私たちでは、到底追いつけないレベルだと感じたのです。だからこそ、自分たちのクルマにはオリジナリティが必要だと感じました」

もっと広い場所を求めて店舗を移転

キャンピングカープラザ大阪の店舗内

アネックスらしいキャンピングカーが次から次へと生まれ、在庫車両、ユーザー車両などが増えると、販売店が手狭になってきたといいます。

「おかげさまで、お客さんも増えてきて、置いておくクルマも増えたので、広い場所に移転したいと考えるようになりました。ちょうど15年ぐらい前ですが、その時から、街中を離れて、山の中の広々した場所へ移りたいと考えていました。以前、プライベードでドライブしていた山のイメージがあって、きれいな景色が見える場所で、図書館のような空間を作りたいと考えていたのです。回りからは、そんな山奥にお客さんは来ないと言われましたけど(笑)」

2005年、大阪の北に位置する箕面市に店舗を移転。山の中ではありませんが、バイパス沿いの広々とした敷地への移転でした。しかし、この場所も拡大を続けるアネックスにとっては狭くなってくるのです。そして、2018年、箕面市のお隣、茨木市彩都あかねに新店舗をオープンさせました。ここが、現在のキャンピングカープラザ大阪です。

「後から思うと、昔、ドライブしていたのはこの辺りでした。まだ、山奥で何もなかったので、ドライブしながら、こんな場所の土地が売りに出ていればいいなあ、と思っていた場所です。今は、再開発で駅の近くはきれいになり、道が整備されましたが、街を望む景色は当時のままでした」

いろいろな人が交差するキャンピングカー展示場として

キャンピングカープラザ大阪からの風景

常に新しいアイデアを考えていた田中氏。新店舗についてもいろいろと考えていたようです。

「お客さんにのんびりとしてほしかったのが一番です。来てくれた人が自由に本などを手に取って、自分で調べたりできる図書館のような空間を作りたいと思っていました。そして、そこから眺める景色は美しく、気持ちいい時間を過ごしてほしかったのです」

キャンピングカープラザ大阪の屋外デッキ

山の斜面に建っている店内には、大きな窓が設置され、目の前には緑が広がっています。遠くに街が見え、夜景がきれいに見えるそうです。敷地内にはドッグランが設置され、ドッグランだけを利用する人も。さらに、ユーザー向けのキャンプスペースも確保しているのです。

キャンピングカープラザ大阪のキャンプ施設

「最初はユーザーの方が、キャンプに行く前に、練習の場所として使ってもらおうと思っていました。でも、実際はしっかりと使ってもらっています。旅の拠点や中継点として、旅慣れた方の利用が多いように感じます。私たちのキャンプ大会で、お客さん同士が友達になって、ここへ集合してキャンプすることもあるそうです」

キャンプ施設は水道や電気が付いていて、シャワーやトイレも完備されています。設備はきれいで、キャンピングカープラザ大阪を目的に、泊まりに来るユーザーがいることも納得できます。

新しいキャンピングカープラザ大阪をオープンすると、いろいろなお客さんが来るようになったといいます。

「通りすがりのお客さんが増えました。以前の店舗のほうが交通量は多かったので不思議です。ふらっと立ち寄ってくれたみたいで、気軽に来店してもらっているようです。山奥でお客さんが来るか心配していましたが、まったく問題ありませんでした」

キャンピングカープラザ大阪の展示場

広い敷地にクルマが並べられ、見比べられる環境あることも、来場者を呼び込んでいるようです。

「LACグループとなってから、グループ会社のクルマを在庫展示できるようになりました。敷地も広いのでたくさん並べているのですが、展示車両の多さも、お客さんを呼んでいるようです。みなさん、インターネットで検索して、クルマがたくさん見られる場所として、ここへやってくるようです。なかには、お店の名前を知らずに来店する人もいらっしゃいます」

すべての質を向上させたい

キャンピングカープラザ大阪の店内カウンター

思い描いた通りの店舗が完成し、たくさんの人が集まってきたアネックスの展示場キャンピングカープラザ大阪ですが、田中氏の頭のなかには、まだまだアイデアがあるようです。

「イメージに近い店舗ができたのですが、お客さんが増えたので、スタッフのスペースを減らして、お客さんのスペースを増やしたほうが良かったかな、と思っています。あとはサービスの質を上げなければなりません」

プロフェッショナルな仕上がり、きれいな店舗など、高い品質を誇っているように見えますが、さらに上を目指しているといいいます。

「高級車に乗られて来店する方も多いのですが、みなさん、高級車ディーラーのサービスを知っているということです。キャンピングカーなので、カジュアルな雰囲気も大切なのですが、本物の上質なサービスを体験しているお客さんに対して、このままで大丈夫なのか、いつも疑問に感じています。だからこそ、アフターメンテナンスを含め、来店時の対応など、すべての質を高めることが目標です」

以前、大手ディーラーのキャンピングカー販売に恐怖を感じて、オリジナリティを追求し、独自の世界観を生み出したアネックス。次は、ユーザーファーストでメーカーとしての質を高めるという目標に向かっているようです。

いつか、大手ディーラーがアネックスの商品とサービスに、恐怖を感じる時が来るかもしれませんね。今後のさらなる質の向上を楽しみに、アネックスの展開に注目したいと思います。

WRITER PROFILE
渡辺圭史
渡辺圭史(わたなべ・けいし)

1971年東京生まれ。アウトドア好きな編集者、そして、算数が好きだったライター。アウトドア用品メーカー、出版社を経て、キャンピングカー専門誌編集長に。現在はフリーとして、いろいろなメディアにて執筆中。アウトドアをキーワードに、より楽しいライフスタイルを求めてゆるりと奮闘中。最近気になっているワードは、旅、ミニマリスト、車中泊。趣味はコンパクトな旅とモノづくり。

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