テントむし成功の秘密を徹底解剖:バンショップミカミ 見上喜美雄代表インタビュー

メーカー・販売店インタビュー
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「軽キャンピングカー」ブームをつくったのは、「テントむし」という車である。
鹿児島のバンショップミカミが、2006年にリリースしたスズキ・キャリィトラックベースの「テントむし」がこの世に出るまで、日本人の大半は「軽キャンピングカー」というものの存在を知らなかった。
もちろん、軽自動車を改造したキャンピングカーは、それ以前からつくられていた。
しかし、そういう車に関心を寄せていたのは、あくまでもキャンピングカーに興味を抱いた人々だけであって、「テントむし」のように新聞や雑誌に採り上げられ、テレビやラジオで報道され、ミニカーのラインナップにまで加えられるような軽キャンパーは1台もなかった。

軽キャンピングカーというのは、意表を突いた商品である。
このジャンルが認知されるまで、キャンピングカーは、一般の人からは「図体が大きくて高額なもの」と見なされるがちで、“一部のお金持ちの道楽” というイメージを払拭し切れなかった。
そんなときに登場した「テントむし」は、たちまちのうちにありとあらゆるメディアに採り上げられ、「へぇ!軽自動車のキャンピングカーがあるんだ !?」という人々の驚きとともに、一気にその存在を知られるようになった。
軽ベースであるがゆえの車両価格の安さ、ランニングコストの経済性、取り回しの良さ。そして何よりもスタイル的な可愛らしさが評価されて、「テントむし」人気はうなぎのぼり。結果的に、多くの軽キャンピングカーが続々とその後を追うことになり、今ではキャンピングカーの一大ジャンルを形成することになった。

「テントむし」はなぜ成功したのだろうか。
もちろん、軽ベースがゆえの経済性や機動性といった実利的な魅力は大きい。さらに、スタイリング的な可愛さという要素も欠かせない。
しかし、それだけでない。時に6輪バージョンが追加されたり、可愛くデザインされた小型トレーラーが連結されたり、豊富なボディカラーが並べられたりと、様々な見せ方が用意されたことも見逃せない。

「演出」に凝っている。テレビドラマ的にいうならば、ディレクションの技術が冴えわたっている。けっきょく消費者は、みな「テントむし」という刺激に満ちた “物語” を消費することになったのだ。
“テントむし物語” の作者であるバンショップミカミの見上喜美雄さんに、創作上の秘密を打ち明けてもらった。

聞き手:キャンピングカーライター 町田厚成

バンショップミカミ 見上喜美雄代表
バンショップミカミ 見上喜美雄代表

最新モデルに見る演出の巧みさ

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【町田】最初に、「ジャパンキャンピングカーショー2018」に登場した最新型テントむしの特徴を教えていただけますか?

【見上】外見的な特徴からまずいいますと、少しだけですが、トレッドを広げました。スペーサーを入れ、前は片輪15mm。後ろは片輪20mm広げました。わずかといえばわずかですが、それでも走行安定性がだいぶ増しました。その分ボディに「フェンダーカバー」を付けて、タイヤが出た部分をカバーしています。

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【町田】“オーバーフェンダー” ということですね。カッコは良いけれど、これで車検は通るのですか?

【見上】大丈夫です。これは合法的な範囲に収まっていますので、車検は問題なく通ります。ずいぶんフェンダー部分が張り出しているように見えますけれど、実は視覚的な演出があるんですよ。
「軽」の枠に収めるため、ほんのわずかですが、シェル幅を狭くしているんです。そうしないと、ヒンジとか窓枠の部分が外側に出っ張ってしまって、軽枠を超えてしまうんですね。そういう形で車体を少ししぼったので、フェンダー部分が逆に視覚的に張り出しているように見えるわけですね。

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【町田】なるほど。芸が細かい。テントむしは昔からそうとう視覚的な演出に凝っていますよね。この新型もまずカラーリングで人目を引きますね。

【見上】これはダイハツが新しく出した「ファインミントメタリック」というボディカラーですが、ハイゼットカーゴも出ていて人気なんです。それでこのボディではシェルの方も同じ色に合わせています。

【町田】現在はベース車はみなダイハツハイゼットですか?

【見上】そうですね。今のところ、ハイゼットがいちばん軽キャンパーに向いていると思っています。

【町田】その理由は?

【見上】今のハイゼットは2014年にフルモデルチェンジして、10代目になったわけですが、そのときにAT車では軽トラック初の電子制御式の4速ATが採用されたんですね。しかも、それがわりとハイギヤードな設定なので、高速道路でもスムーズに伸びるし、燃費もよくなったんです。

【町田】ハイゼットを採用する前は?

【見上】以前は、スズキキャリィやそのOEMであるマツダ・スクラムを使っていました。しかし、このハイゼットは専用ベース特装車として座席にリクライニング機構が付くようなこともメーカーがやってくれるので、非常に使い勝手がいいんですよ。
普通の軽トラックというのは背中がすぐ鉄板になっていますから、そこにヘッドレストなどをビス止めにしても、直角シートなので、やっぱり窮屈ですよね。ところがこの車ではシートそのものがリクライニングするようになったので、加工もいらなくなり、かなり楽になりました。

冷蔵庫の天板にも一工夫

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【町田】新型テントむしの内装の特色を教えていただけますか。

【見上】まず、構造的なことからいうと、前モデル(2017年モデル)のときは、ステンレス製の固定給水タンクと排水タンクを床下に配置していたのですが、このモデルでは給水タンクのみポリタンクに変えて、ギャレーの中に設置しました。

【町田】それはどういう理由からでしょう?

【見上】床下の固定給水タンクだと、やっぱり給水のときにホースを使わないとならないんですよね。しかし、脱着式のポリタンクなら、簡単に外してキャンプ場などの水場に持っていけるじゃないですか。それでこの仕様を標準にしましたけれど、オプションで床下給水タンクのタイプもお選びいただけます。

【町田】室内のグレード感がまた一段上がったように感じますね。

【見上】それは、たぶん統一感が生まれたからだと思います。具体的にいうと、ベッドシートの色を外装カラーに合わせてホワイトとミントにし、家具色も白色系にして明るくしました。
また、冷蔵庫のフタが平らになるように加工して、その天板に、テーブルの天板と同じ素材のものを貼ったんですよ。

【町田】なるほど。凝ってますねぇ。

【見上】これ、言わないと皆さん気づかない(笑)。シンプルな加工なんですが、このフラットな冷蔵庫の天板をつくるにもいちいちFRPの型を起こして、実はけっこう手間ひまかけて製作しています。

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コンパクトトレーラーや6輪モデルで話題を喚起

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【町田】なるほど。「テントむし」の可愛らしさとか美しさというのは、そういう細かいところのアイデアの勝利から生まれているんですね。
今回のフェンダーカバーの見せ方もそうだし、冷蔵庫の天板の見せ方もそう。そのまま作りっぱなしにせずに、常に一工夫加えている。とにかく次から次へと湧き出てくるアイデアには脱帽です。

【見上】あれこれ夢想するのが好きなんでしょうね(笑)。

【町田】「コロ」というコンパクトトレーラーを開発して、それをテントむしと連結させたアイデアにも感心しました。両方とも可愛いので、ビジュアル的なインパクトが強烈でしたね。

【見上】実は、テントむしはすでに4人就寝を可能にしているので、トレーラーに移って寝る必要はないんですね。だから、二つ並べて展示するというのは、本当のことをいうと、ディスプレイとしての効果を狙ったものなんです(笑)。

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【町田】そうなんですか。でも、やはり二つ並んでいると、展示会でのアピール度は高いですね。
6輪のテントむしを開発されたこともありましたけれど、あれもインパクト狙いですか?(笑)。

【見上】6輪にしたからといって、それほど大きなメリットが生まれるわけはないんですが、お客様の心をキャッチする広告塔にはなりますからね(笑)。

【町田】そのへんが見上さんの宣伝上手なところなんでしょうね(笑)。けっきょく、それらの “小道具” というのは、みなテントむしをより魅力的に仕立てるための仕掛けなんですね。いわば「テントむし物語」をつくるための布石。そのへんの宣伝力が、他の軽キャンパーメーカーと差をつけている秘密なんでしょうね。

【見上】「6輪テントむし」も、あれを売ろうという気があったわけではなく、「こんなものもつくれます」というアピールも含めて、私自身が遊びたかったんですね。

アメリカ西海岸で流行っていたバニングに一目ぼれ

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【町田】そもそも見上さんは、どういう経緯でこの業界に関わるようになったんですか?

【見上】実家は養蜂業だったんですよ。だから最初は私も父の仕事を手伝っていました。
しかし、自動車が好きだったので、“走り屋” としてカリーナGTを飛ばしたりしていたのですが、だんだん走るだけでは満足しなくなって、ドアに内張りを張ったり、床に絨毯を敷いたりして遊ぶようになりました。
そのとき、たまたま雑誌でアメリカ西海岸で流行り始めた「バニング」の写真を見たんですよ。「貨物商用車を改造して、外観も内装も自由に装飾をあしらう車が大ブーム」という説明があったんですね。それを見て、自分もすぐにやってみたくなったんです。

【町田】バニングのブームは、日本では1970年代の中頃でしたね。

【見上】そうですね。75年頃から日本でもポツポツとアメリカからバニングのパーツを仕入れる店が出始めたんですね。
でも、そういうものを手に入れて、見よう見まねで付けてみても、公道を走っていると、すぐ警察から注意されてしまうんですよ。「改造車は走れない」というわけですね。
では、どうすれば合法的に公道を走れるようになるのかいろいろと思案して、陸運事務局まで相談に行ったんですよ。そうしたら、担当者が書類を調べてくれて、「キャンピング車登録をすれば大丈夫だ」と教えてくれたんです。

【町田】要は、「8ナンバー登録しろ」というわけですね。

【見上】そうです。それには、ベッドとか流しが必要になると。
ところが、当時そういうパーツなど周りには売ってないわけですよ(笑)。そこで、金物屋さんに行って普通のステンレスのボールを買ってきて、それにホールソーで穴を開け、排水栓を付けたりね。蛇口には、住宅のトイレで使うガチョウの首のように曲がった水栓蛇口を取り付けたりしていました。
もっとも難しかったのは、書類を整えることでした。図面や計算書を用意して、三角関数などという難しい公式を覚えて。昔ならった算数をもう一回やり直したという感じでしたよ。

【町田】苦労されたわけですね(笑)。

【見上】でも、苦労して8ナンバー車両をつくったということは、放っておいても、口コミで周辺に広がるものなんですね。近所の人が見物に来たり、「俺にも1台つくってくれないか」などという依頼も入るようになりました。

いよいよキャンピングカー製作を開始

テントむしとコロのミニカー
テントむしとコロのミニカー

【町田】そのときに、キャンピングカーを製作する気持ちを固められたのですか?

【見上】そうですね。そのために研修を受けることにしました。キャンピングカーをつくっていくためには、やっぱり基礎的な知識と技術が身についていないとだめだろうと思い、ロータスの相原さんが始められた「キャンピングカー研修会」に参加しました。そこで、工具の使い方や内装家具のつくり方などを基礎から勉強しました。

【町田】では、キャンピングカー製作を開始されたのはいつ頃からなんですか?

【見上】1982年からですね。定番というよりも、ワンオフが中心でした。注文を受けて、ハイエースやキャラバン、あるいはマイクロバスベースのキャンピングカーを作っていましたね。
でも、当時いちばん多く製作していたのはバニングで、ほかにデコトラもやっていました。

【町田】「デコトラ」って、トラックにいろいろな飾りやネオンを付けるやつですか?

【見上】そうです。「アートトラック」などとも呼んでいましたね。当時は、アートトラックとバニングが半々ぐらいでした。
特に私は、アートトラックの飾りを作るのが得意だったんですよ。キャデラックバンパーとか、シートデッキなどもオリジナルで作りました。
だから芸文社の『カミオン』などというアートトラック専門誌には、うちの作った飾りがよく載っていましたよ。

デコトラ製作でセンスを磨く

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【町田】デコトラというのは、勇壮な男の車。一方「テントむし」は女性ファンも多い可愛らしさが売りの車。両極端の世界を手掛けたことになりますね。

【見上】でも、どちらもカッコよく見せるにはバランス感覚が大事なんですよ。特にトラックは “ガタイ” が大きいから、バランスが崩れると悲惨なことになるんですね。トラックの飾りを注文してくる人というのは、それが分かっているから、みんなセンスがいいですよ。

【町田】なるほどね。軽キャンパーのデザインも、けっきょくはバランス感覚ですものね。
ところで、軽自動車を使ってキャンピングカーをつくろうと思ったきっかけは何だったのですか?

【見上】“狭い空間” に身を寄せるという感覚がもともと好きだったということがあります。男の子だったら一度は、森のなかに小さな秘密基地をつくって遊ぶというようなことをしませんでしたか? 私は小さい時からそういうことに憧れていました。
でも、軽キャンパーを始めた直接の動機は、バニングの売れ行きに陰りが見えてきたからです。

【町田】それは、いつ頃の話ですか?

【見上】2000年代に入ってからでしょうね。それまでバニングにお金をかけていた若者たちが急に姿を消し始めたんですね。世の中の不況も影響してきたんでしょうけれど、携帯電話が急速に普及してきたということもあったでしょう。若者たちに聞くと、「携帯電話の通話料にお金がかかるようになったので、車におカネを回せない」というんですよね。
そういうことが全国的に起こってきて、本州のバニングの仲間たちも撤退したり、仕事を変えたりし始めていました。だから、うちも何か別の手をうたなければならないと思っていました。

【町田】それで軽キャンパーを?

【見上】はい。おカネのない若者でも買えて、しかも安く維持できる車。また鹿児島だけでなく、全国のキャンピングカーファンも注目してくれるような特徴のある車。
そう考えていくと、軽自動車しかないな … と思うようになりました。
で、最初の発想は、もう “大きなキャンピングカーのミニチュアカー” 。タッパがあって、バンクが張り出した大型車をチョロQにしたような車があったら面白いだろうなぁ、と思ったわけです。

「やどかり」誕生

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【町田】それがあの有名な「やどかり」ですね。

【見上】ええ。もともとスタイル優先でつくった車でしたから、確かにショーなどに持っていくとお客様の反応はすごいんですよ。わぁーっとすぐに人が寄ってくるんですね。うちの従業員などは、バニングしかつくったことがありませんでしたから、「やどかり」のような車がウケるというのは予想外のことだったらしいです。
でも、お客様の反応を見て、逆に従業員たちのほうがだんだん乗り気になっていきましたね。

【町田】で、「やどかり」の市場での売れ行きはどうだったんですか?

【見上】展示会などの反応はいいんですが、実際にはなかなか売れなかったんです。 で、お客様の意見を頂戴すると、買うことを躊躇(ちゅうちょ)する三つの理由があると。
特に、買っていただいたお客様から言われたのが、「車検が面倒」。
あの車は、キャブコンのように見えますけれど、実はトラックキャンパーの思想を受け継ぐモデルなんですね。つまり、シェルがトラックの荷台に積まれた「積載物」という扱いになりますから、車検のときにはいちいち積み下ろし作業が発生するんです。 
また、車高が2mを超えるので、都市部の立体駐車場などには入れない。乗車定員も2名しか取れない。その三つがダメな理由だと。
それを聞いているうちに、「そうか! その3点をクリアすれば大丈夫なんだな」という希望が見えてきたようにも思いました。

「テントむし」への飛躍

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【町田】それが今の「テントむし」になっていったわけですね。

【見上】そうですね。「やどかり」の課題として挙げられたものに車高の問題がありましたから、まずそれを2m未満に抑え、代わりにポップアップルーフを付けて室内高を稼ぐことにしました。 乗車定員も4名にまで増やし、就寝定員も2+2という形を維持して、大人2人に小さなお子様2人が寝られるスペースを確保しました。 さらに、軽自動車の規格内に収めるように採寸したので、普通車に比べて様々なランニングコストを下げることもできましたし、サイドパネルなどにはアルミを採用しましたから、軽量化が図られたと同時に、ペイント効果も上って、ボディがきれいに見えるようになりましたね。

【町田】この車が後に「レジェンド」になることを、開発当時は予想されましたか?

【見上】予感はありました。というのは、展示会に出品した当初から反応がすごかったんですよ。すぐに日経新聞をはじめ様々な新聞・雑誌、NHKをはじめ民放テレビ各社の取材が入ってきて、こちらもびっくりしました。

【町田】それだけ「軽キャンピングカー」という存在が珍しかったんでしょうね。

【見上】マスコミだけでなく、同業者も驚いたみたいですよ。「軽でどうやって寝る場所作ったの?」とか、アルミボディだと気づかなった人は「FRPでこんなに平滑性が保てるの?」などとびっくりしていました。

なぜ軽キャンパーは市民権を得たのか

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【町田】「テントむし」がデビューしたのが、2005年くらいでしたかね。

【見上】「やどかり」を出した5年後ぐらいでしたから、そんなものかもしれません。

【町田】あの時代、まだ「軽キャンピングカー」を一過性のブームだと見なしていた業者さんも多かったですね。メディアの人でも「軽キャンブームは長く続かない」と予測した人がいたくらいでしたから。

【見上】そうですね。私自身もこれほど大きな潮流になるとは思いもしませんでした。

【町田】軽キャンピングカーが市民権を得た理由を、どうお考えですか?

【見上】やっぱり、「キャンピングカーは遊びの車である」という本来の性格をいちばん強く打ち出しているのが軽キャンピングカーだからじゃないでしょうか。
これ以上大きな車になると、バンコンでもキャブコンでも、「遊びの車」という以前に、「生活の車」というイメージが強く出てしまいます。
でも、軽キャンピングカーは形自体が “オモチャ” のようだから、「遊びの車」という印象がふくらんでいきますよね。だから、人々にワクワク感を抱かせるのだろうと思います。

【町田】あぁ、分かりますね。世界のキャンピングカーが重厚長大路線をたどっていったなかで、日本にだけ「軽キャンピングカー」という “文化” が生まれた。
それって、訪日外国人観光客が、日本の文化に「クールジャパン」というカッコ良さを求め始めた時期と重なりませんか。

【見上】あ、そうかもしれませんね。

【町田】だとしたら、日本の軽キャンピングカーが世界のマーケットに出ていくことはないとしても、「箱庭」だとか「盆栽」などという日本的なミクロの美学を体現する乗り物として、世界のキャンピングカーファンの注目を集めるかもしれませんよね。

【見上】そうなると面白いですけどね(笑)。

WRITER PROFILE
町田厚成
町田厚成 (まちだ・あつなり)

1950年東京生まれ。 1976年よりトヨタ自動車広報誌『モーターエイジ』の編集者として活躍。自動車評論家の徳大寺有恒著 『ダンディートーク (Ⅰ・Ⅱ)』ほか各界著名人の著作の編集に携わる。 1993年『全国キャンプ場ガイド』の編集長に就任。1994年より『RV&キャンピングカーガイド(後のキャンピングカースーパーガイド)』の編集長を兼任。著書に『キャンピングカーをつくる30人の男たち』。現キャンピングカーライター。

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