RVランド キャンピングカーメーカーインタビュー

メーカー・販売店インタビュー
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RVランド

 わが国初のキャンピングカー総合展示場としてオープンした「RVランド」。1990年初頭、キャンピングカーの展示場は日増しに増えていたが、それはみなビルダーの直営店であり、展示車両というのはその会社が製作した商品に限られていた。各ビルダーの車両を総合的に並べる展示場というのは、1992年に「RVランド」が誕生するまで、日本には存在しなかったのだ。
 それから25年。RVランドは日本最大級のキャンピングカーの総合展示場に成長。内外のトップブランドの車両の展示・販売のみならず、オリジナルキャンピングカーの開発、サービス分野におけるメンテナンス体制の確立、レンタルキャンピングカー業務の推進など、どの分野においても画期的な成果を上げ、今やわが国のキャンピングカー産業をけん引する存在として、業界やユーザーの絶大なる信頼を勝ち得ている。
 その成功の秘密は、経営陣の巧みな世代交代にあった。前人未到の分野を切り開いてきた先代の阿部和磨氏(現会長)と、その路線を引き継ぎながら、さらに大胆に事業規模を拡大していった阿部和英氏(現社長)という親子2代の鮮やかなバトンリレーがこの奇跡を生んだといっていい。
 しかし、その間、親子といえども互いに切磋琢磨し合い、ときに会社の運営方針をめぐって、ライバル同士のように対峙する瞬間もあったという。日本のRV業界を代表する会社の一つとして、メディアやユーザーから熱い視線を注がれているRVランドは、ここに至るまでにどのような軌跡をたどってきたのだろうか。また、その向かうべき先には、どのような世界が広がっているのだろうか。2代目社長の阿部和英氏に、その熱い胸の内を聞いた。

聞き手:キャンピングカーライター 町田厚成

阿部和英 RVランド社長
阿部和英 RVランド社長

RVランドの誕生

【町田】先代のお話からで恐縮なのですが、RVランドがオープンする頃のいきさつを簡単にお教えいただけますか?

【阿部】RVランドのオープンは平成4年ですけれど、当時ヨコハマモーターセールスというビルダーさんに勤めていた先代がその会社を辞めてですね、かねてより計画していた「キャンピングカーの総合展示場」というのを茨城県守谷町にオープンしたのが始まりですね。

【町田】最初の展示場は、現在本社のあるところの近くでしたよね?

【阿部】そうです。そこは「フォンテーヌの森」というキャンプ場の一角だったんですよ。だから林の中に、テントのようにキャンピングカーが点在しているという変わった展示場でした(笑)。

2004年頃のRVランド(旧展示場)
2004年頃のRVランド(旧展示場)

【町田】その頃の展示台数というのは何台ぐらいだったんですか?

【阿部】当時からすでに常時50台は展示していましたから、展示車の規模は今と同じぐらいでした。

【町田】それだけの展示場というのは、当時は他にありませんでしたよね。

【阿部】そうですね。それこそ輸入モーターホームから国産キャブコン、バンコン、バスコン、トレーラー。あらゆる種類のキャンピングカーを置いていました。

初のオリジナルブランド「ランドホーム」

【町田】オリジナル車として、バスコンの「ランドホーム」を開発されたのはいつぐらいですか?

【阿部】展示場をオープンしてから間もなくでしたね。自社のオリジナル商品を持ちたいというのは、先代の夢でしたから。

【町田】けっきょくこの車が、現在に至るまでのRVランドさんのオリジナル商品群の柱となりましたね。

【阿部】そうですね。こういうバスコンは当時は画期的だったのではないでしょうか。
 バスというのは鉄板とガラス窓の面積が大きく、そのため熱伝導率が高いんですよ。ということは、キャンピングカーとして架装した場合、断熱性が悪く、夏は暑く、冬は寒い車になってしまうわけです。
 そこでランドホームでは、ボディ後半部のガラス窓をすべて取り払って、そこに断熱素材入りのFRPサッシを被せたんです。窓下にもボディ鉄板と内張りの間に3層に及ぶ断熱材を埋め込んだんですね。

2000年頃のランドホーム
2000年頃のランドホーム

【町田】当時、その断熱対策がユーザーやメディアの間で評判になりましたね。

【阿部】ええ。「バスコンの形をしたモーターホーム」などといわれたこともありましたね(笑)。
 さらに、その頃の熱源の主力であったLPGボンベをいち早くレスし、それに代わる電源システムや温水システムを開発して投入しました。
 そのとき確立されたコンセプトが、けっきょく現在のランドホームシリーズにも受け継がれているということですね。

「父を超える」が若い頃のテーマ

【町田】阿部和英さんが、“社員” としてこのRVランドに入られたのはいつ頃ですか?

【阿部】14年ぐらい前になります。それまでは自動車の専門校に通って2級整備士の資格を取ったり、自動車ディーラーで整備や営業の経験を積んでいました。

【町田】一社員としてご覧になった先代の経営ぶりはいかがでしたか?

【阿部】とにかく一代でこれだけの展示場を企画し、運営していった手腕はたいしたものだと正直に感服します。
 しかし、ワンマンで威張り散らした男でしたよ(笑)。自分の才覚を自分で評価できる人でしたから、それなりに他人に対しては厳しいんですね。私なども日々頭ごなしに怒鳴り散らされてばかりでした(笑)。

阿部和麿 会長
阿部和麿 会長

【町田】しかし、その分鍛えられた?

【阿部】結果的にはそうでしたね。でもその頃は反発心の方が先にこみ上げてきてね。自分がもしこの店を継ぐようになったならば、いかに “親父と違ったやり方” で発展させていけばいいのか、そればかり考えていました。

【町田】なるほど。先代はそれなりのサクセスをしっかり勝ち取って来られた方ですから、その上を行くとなると、そうとう高い目標値を掲げなければならないことになりますね。

【阿部】そうですね。だから、私がこの会社の運営に徐々に関り始めた頃は、先代と意見が合わないことが当たり前でしたね。

【町田】RV協会さんなどが主催するキャンピングカーイベントに出展することにも、最初は先代がずいぶん反対されたとか。

展示場の外にも活躍の場を広げる

【阿部】そうです。うちはそれなりの台数を揃えた大きな展示場でしたから、「この展示場自体が大きなキャンピングカーショーなのだから、外に出る必要などないのだ」というが先代の自論でした。
 やはり、外部の意見に耳を傾けることが自分の成長にもつながるし、逆に外部の視点に立つことによって、あらためてうちの会社の進んでいる部分を見つけることもできました。

【町田】和英社長になられてから、つくばのイオンモールの施設内に展示場を設けたり、千葉の流山にキャンピングカー未満の“車中泊車”を集めた拠点を出すなど、とにかく対外的な進出が盛んになったという印象を受けるのですが、その狙いは?

【阿部】とにかくいろいろな方に、キャンピングカーを見てもらう機会を増やそうということです。
 現在、キャンピングカー業界というのは、テレビなどにも取り上げられる回数も増えて来て、右肩上がりの成長産業のように思われ勝ちですが、その市場の広がりは “微増” といった状態が続いているんですね。
 それ以上の成果を出すためには、さらに裾野を広げなければならない。そのためには、キャンピングカーの露出度を増やさなければならない。イオンモールのような、キャンピングカーにあまり関心がないような人が集まる場所に店を出したのは、そういう理由もあるんですね。

【町田】実際に効果は上がっていますか?

【阿部】上がっています。つい最近の話では、イオンモールで開かれたサーカスのイベントを見物に来られたご夫婦が、ふと隣にあったうちの展示車を眺められて、「これはいいわね!」と奥様が気に入ってくださったため、1週間で契約になりました。
 そういう例は多いですよ。

イオンモールつくば店
イオンモールつくば店

レンタルキャンピングカー業務を成功させるコツ

【町田】「イオンモールつくば店」では、レンタルキャンピングカー業務を始められましたよね。
 この事業などは、和英社長になってからの決断だと思うのですが、今までのキャンピングカー販売のお仕事とどう関連するのですか?

【阿部】これも、やはりキャンピングカーの露出度を高めて、その存在を認知してもらおうという意図で取り組んだ事業なんですね。
 だから、単独で利益を出すというよりも、レンタルキャンピングカーを利用した人のなかから、1人でもキャンピングカーを気に入って買ってくれたらうれしい、というスタンスで始めたんです。

【町田】狙い通りになりましたか?

【阿部】はい。けっきょくレンタルキャンピングカーを借りた人のなかから、10組みに1組とか15組に1組ぐらいの割合で、キャンピングカーを購入される人が出ていますね。
 リピーターの方も多くて、もう3回とか5回以上借りてくださる人も大勢います。さらにもっと使ってくださる人もいます。
 そうなってきたので、レンタルキャンピングカー部門だけでも採算ベースに乗るようになってきました。

【町田】それはレンタル事業としてはわりと成功されている例に入ると思うのですが、キャンピングカーレンタルで、RVランドさんがもっとも力を入れているところはどんなところですか?

【阿部】これも新車の発売とまったく同じなんですよ。要するに、利用者に安心して気持ちよく乗ってもらうことが大事なんですね。
 それにはまず日頃の整備やクリーニングを含めメンテナンスをいかに充実させるかということです。
 次に新車であること。出荷されてから2年を経過した車はもうレンタルしません。常に最新の車を店先にそろえています。

【町田】具体的に今そろえている車種は?

【阿部】バスコンでは当社オリジナルの「ランドサルーン」。キャブコンではバンテックさんの「コルドバンクス」「コルドリーブス」、そしてファンルーチェさんの「セレンゲティ」。バンコンではオリジナルの「ランドワゴンリノ」といったところですね。

「車中泊ファン層」を大事にする

【町田】レンタカーでは、バンコンとキャブコンと比べるとどちらが利用される率が高いですか?

【阿部】やっぱりキャブコンですね。うちからレンタカーを借りようというお客様のなかには、自分でキャンピングカーを買う前に、運転感覚や使い勝手を調べてみようと思っていらっしゃる方もかなり多いんですよ。

【町田】そういう方々の反応は?

【阿部】大半の方が「良かった」とおっしゃってますね。そう思っていただくためにも最新の車を用意して、いちばん良いコンディションで乗っていただかないとダメなんですね。

【町田】和英社長の代になって、千葉の流山にも支店を出されましたね。あのショップはどういう位置づけですか?

【阿部】あれこそ、ほんとうの意味で “裾野の拡大” ですね。いくらうちの展示場の品揃えが豊富だということを自慢しても、やっぱり、キャンピングカーにほとんど興味のない人には “無縁の地” なんですよ。
 しかし、キャンピングカーには興味がなくても、ミニバンなどで車中泊することにはものすごく関心を持っている人は多いです。
 あのショップは、そういう方々を対象に、カングーにベッドキットを載せたような、ちょっとお洒落な車を手配しています。純然たるキャンピングカーというのは1台も置いてありません。

カングー車中泊仕様
カングー車中泊仕様

【町田】そういうところからキャンピングカーに関心を移されてくる人も多いんですか?

【阿部】いらっしゃいますね。でも、そのまま普通の車中泊スタイルを継続して面白がっている方も多いです。それはそれで、裾野の拡大につながっていると思っています。

拠点数を増やすことのメリット

【町田】このほど、さらに九州にも支店を出されましたよね? 「RVランド九州 鳥栖展示場」

【阿部】あれもたまたま懇意にしていたキャンピングカー販売店の社長さんが引退したいと言い出したので、それを引き継いだだけです。

【町田】拠点数を増やしたりすることは、やはりメリットがあるものですか?

【阿部】運営の仕方次第じゃないでしょうか。その拠点にそれなりの人材がいれば、それは間違いなくプラスになるでしょうね。
 また、人々の生活習慣や風土が異なる地に拠点を分けることのメリットとしては、中古車の在庫を交換したりするという意味で、それなりに良いことがあります。
 たとえば、この茨城では、雪の多い甲信越や東北にも近いから4WD車がよく売れる。一方、九州では2WDの方が人気がある。
 そういうときに、茨城で下取った2WDと九州に入ってきた4WDを交換する。そういうようなことで長期在庫化を防ぐことも可能になります。

【町田】それにしても、和英社長の目の付け所は鋭いですね。新しいビジネスチャンスを見つけ出す才覚にも恵まれていらっしゃるし、またそうやって始められた新事業が、本来のキャンピングカー販売にもしっかり環流してくるところまで計算されている。

【阿部】いえいえ(笑)、たまたまですよ。新事業といっても、私の方から積極的に働きかけたものなど一つもないです。全部向こうから話がきたものばかりです。「イオンモールつくば店」も、イオンモールさんの方から話がきただけのことですから。
 私の仕事というのは、ただ話を聞いて、判断を下すだけです。

【町田】そういう新事業に対し、先代はどう評価されていらっしゃいますか?

【阿部】最近ようやく文句を言わなくなりましたよ(笑)。ときどき私のやり方を認めてくれるような発言すらするようになりました。だから、かえって老けちゃったのかと心配なんですけれどね(笑)。

ハイマーを知ってヨーロッパRV文化の深さに触れる

ハイマーML-T540
ハイマーML-T540

【町田】和英社長がこの業務を引き継がれるようになって、会社の大きな転機になったと思われることは何ですか?

【阿部】やっぱりハイマーを手掛けるようになったからではないですかね。なにしろ、世界のキャンピングカーメーカーのなかで、ドイツのハイマーといえばトップブランドじゃないですか。
 それまでも、ハイマーという存在の大きさは知っていましたけれど、どちらかというと、頭のなかだけのイメージにすぎなかったんですね。
 それが実際に売ることになって、現車の目の当たりに見る、数々のデータに目を通すようになる、ドイツ本社の要人たちと接触するようになる、もう想像していたような世界とはまったく違うんですよ。

【町田】何がどのように違って感じられたのですか?

【阿部】一言ではいえないのですが、それこそ「歴史の重み」「伝統の蓄積」「文化の深さ」といったようなものでしょうか。
 だから、「キャンピングカーを売る」というよりも、ヨーロッパで連綿と築きあげられてきた「RV文化を広報する」という気分になりましたね。

【町田】それほど国内のキャンピングカー文化とは違ったものなんですか?

【阿部】まさに歴史の蓄積の違いじゃないですか。われわれのキャンピングカー文化というのは、たかだか50年ぐらいのものですよ。
 しかし、欧米のキャンピングカー文化は、自動車の歴史と同じぐらいの厚みがある。それこそ、ヨーロッパの宮廷文化の生活習慣みたいなものがそのまま室内設計の思想として息づいている。そのすごさは、実際に携わってみて、はじめて実感できましたね。

【町田】それはとてもいい経験でしたね。

【阿部】そうですね。「こんなすごい車を売っているんだ!」という緊張感もあったりして、めちゃめちゃモチベーションが上がりましたね。

ここ10年ほどのユーザーの意識の変化

【町田】ところで、先代がこのRVランドを始められた頃と、いま和英社長がそれを引き継がれた頃を比べてみて、キャンピングカーユーザーの意識変化というものがありましたか?

【阿部】すごく大きい変化といえば、ここ10年ぐらいですかね、皆さん車内で食事を作らなくなりましたね。
 私が先代から仕事を学んでいた頃は、まだそれなりに車内のコンロで煮炊きされる方がけっこう多かったですよ。そういう傾向が目に見えて少なくなってきましたね。

【町田】では、皆さん食事はどうされているんでしょうね。

【阿部】旅行先のスーパーなどで、食材を調達されるケースがほとんどです。今はスーパーやコンビニで売られている食材の品数も増えてきて、しかも味がほんとうにおいしくなってきたんですね。だから、電子レンジ一つあれば十分。
 実際に、今うちで売っているランドホームなどは電子レンジが標準装備で、コンロはオプションです。それは、ほとんどコンロを付ける人がいないから。お湯を沸かすぐらいだったら、カセットコンロを収納棚の奥に入れておけば十分という考え方ですね。
 だからわれわれも、コンロよりは電子レンジが便利に使えるように、電装システムにはそうとう力を入れています。

若者の嗜好にも常に気を配る

【町田】最後に、RVランドの今後の方針などをおうかがいしたいのですが。

【阿部】これは、われわれの会社の方針というよりも、業界の方針ということになるんでしょうけれど、まずはインフラの整備ということに尽きますね。いくらお客様にキャンピングカーを買っていただいても、それを使って遊ぶ場所に魅力がなければやがては飽きられる。
 そういった意味で、キャンプ業界とかアウトドア業界との連携も深めていかなければならないと思っています。それから用品業界などの動向からも目が離せませんよね。
 キャンピングカーと違って、アウトドア用品のような単価の安い商品というのは若者の嗜好が反映されやすい。アンテナ感度を下げないためには、そういうものにも嗅覚を働かせていかなければならないと思っています。

WRITER PROFILE
町田厚成
町田厚成 (まちだ・あつなり)

1950年東京生まれ。 1976年よりトヨタ自動車広報誌『モーターエイジ』の編集者として活躍。自動車評論家の徳大寺有恒著 『ダンディートーク (Ⅰ・Ⅱ)』ほか各界著名人の著作の編集に携わる。 1993年『全国キャンプ場ガイド』の編集長に就任。1994年より『RV&キャンピングカーガイド(後のキャンピングカースーパーガイド)』の編集長を兼任。著書に『キャンピングカーをつくる30人の男たち』。現キャンピングカーライター。

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